『介護ヘルパーは見た』メモ

読書メーターでまとめたものの再まとめ


介護ヘルパーは見た (幻冬舎新書)

藤原 るか


~「介護労働者の権利宣言」を共に作ろう~6.29集会 http://wwt.acw2.org/?p=4786 で話を聞いた藤原るかさんの本。面白かった。認知症の人との付き合い方、いい感じです。あ~、こんな風にすればいいのか、と思った。 そして、改悪された介護保険の話もきっちり書かれている。7月30日には次の本がでるとのこと。楽しみ。ちなみにこの読書メーターにも予告が出ている本のタイトル、藤原さんはつけたくなかったとのこと。


「認知症は薬3割、ケア7割で改善する」という認知症ケア専門医の話が紹介され、節の見出しになっているのだけど、なんとなく「薬1割、ケア9割」くらいなんじゃないかと、感じている。根拠はないのでいろんな人の感想を聞いてみたい。

書いてて思ったのだけど、「ケア」って、生活の一部じゃなくて、生活全体のことかなぁ。その人を支えるコミュニティがその人の認知症の症状を規定している部分がとても大きいという話でもある。

「認知症は薬3割、ケア7割で改善する」(92-94p)という話で「薬も大切」と書いてあるのだけど、認知症の薬ってどれくらい薬効があるのだろう。

「お金はなくても生活はできますが、人間らしい生活なのかは疑問です」(112p)っていう部分は言葉足らずだと感じた。お金がほとんどなくても、かなり人間らしい生活をしている人はいる。しかし、そのためには、おそらく強力なネットワークと支える人脈が必要で、それを形成するのはかなり困難な話ではある。そういう意味では確かにお金が大事なんだけど、・・・。

そう、これを読んで強く感じたのは、介護保険は、ケアが必要になったとき、あたりまえの在宅の暮らしを維持できない制度になってしまっているということ。そこは障害福祉サービスと比較して決定的にダメなところだ。そのことがもっと強調されていいんじゃないかと思ったのだった。147pには「何がなんでも在宅で」と頑なに考えるんじゃなくて、と書いてあるのだけど、制度がそれを不可能にしている側面が強いんじゃないかなぁ?

第8章「ヘルパーが見た介護業界の現実」 この現実、もっと知られる必要があるのだろう。1億円の入居金の有料老人ホームでの必要のない拘束衣の使用とか。とりわけ知られるべきだと思うのは「介護保険の改正で貧困化する介護の中身」という話。

 家事をいっしょにしながら、あるいは身体介護をしながら言葉をかけ、目を合わせて会話をする――そうした日々のやりとりがあるからこそ、お年寄りと一緒に暮らしを創るという信頼関係が生まれるのです。それがなければ、本音を聞き取ることもできません。

 ところが、2012年に行われた介護保険の改正は、こうしたお年寄りとのやり取りを否定するような内容でした。・・・19

つい最近まで、このことを全然知らなかった。どれくらいの人がこのことを知っているのだろう。

そして、、以下のように続く。

 ところが、2012年に行われた介護保険の改正は、こうしたお年寄りとのやり取りを否定するような内容でした。掃除や洗濯、調理、買い物などの「家事援助」について、これまで「30分以上60分未満」「60分以上」だった区分が「20分以上45分未満」に変更され、15分も短縮されてしまったのです。この15分の差は大きく、掃除や洗濯、勝利をこなすのが精一杯で、ゆっくり話をする時間がなくなりました。

 ・・・

 ヘルパーが家事援助することで、どうにか生活を維持できているのです。そういうお年寄りがたくさんいます。ヘルパーが来ることが刺激になり、一緒に動くことで ADL を維持させ、家事をする気力がわいてきます。単純に「体が動くなら家事援助は必要ない」とはいえないのです。 

 また、「身体介護」についても、これまでの「30分未満」という区分が「20分未満」と20分以上30分未満」に改正され、慌ただしくし身体介護をするようになっています。

 おむつの交換でも、食事の介助でも、声をかけながらゆっくりやれば、それなりに時間がかかります。利用者は人間です。ロボットのように流れ作業で出来るわけではありません。機嫌が悪く、思うように身体を動かしてくれないときなど、時間通りにはいかないのです。

 昔のように余裕を持って家事や身体介護をし、お年寄りと会話ができれば、本人の心のケアにもなるし、私たちヘルパーのやりがいにもつながります。けれども、現状ではヘルパーの仕事がプランに縛られた流れ作業的になり、介護を受けるお年寄りにとっても慌ただしく、落ち着かない時間になっています。

 こんなお寒い介護事情では、これからのお年寄りの生活がどうなってしまうのかと心配になります。190-192p

こういうことをこれから介護を受ける可能性のある私たちはもっと知るべきだと思った。

議論が分かれると思ったのは

『ヘルパーに看護師の代わりはできない』という節(197p~)

【痰の吸引や経管栄養や胃ろうに関して、命にかかわるからヘルパーはそんな医療行為はしたくないし、すべきでない、ヘルパーには荷が重すぎる】と著者は主張する。しかし、それが認められなければ、地域生活を維持できない人が多数出てきてしまうのではないだろうか。確かに命にかかわる話ではあるが、当事者にとっては毎日欠かせない日常でもある。日常、必要なことなのだから、その訓練を受けたヘルパーにお願いしたいというのは自然なのではないだろうか?藤原さんの主張は必要ならば24時間の訪問看護をつけるべきということかもしれない。果たして、それが可能なのか。そんな風にできない現実の中でALSの人たちなどから要求でできてきた仕組みだったような気がするんだが、記憶は定かではない。


別の話に移る。

たとえば、新人ヘルパーのIさんは、朝・昼・夜の各30分ずつの訪問で1日拘束されています。時給は1300円と悪くないのですが、移動時間は考慮されず、実働郡の1時間30分の給料しか支払わられないため、実働分1950円×20日=3万9000円の手取りにしかなりません。これでは新人ヘルパーが長続きせず半年ほどで離職してもしかたがないでしょう。(202p)


極端な例だとは思うが、こんなこともあるのだろう。一般的にはもう少し仕事を入れることは可能だろう。しかし、あと2回入れてもいくらになるか。


白梅短期大学の森山千賀子さんの話として紹介されているのが以下
「暮らし・生活を対象とする介護の質が、『生活の質・人生の質』に近づいている」 

これはなかなか深い話だと思う。 そして言われてみたらその通りかもしれない。介護が必要な人にとって介護の質は人生や生活の質に直結している。それに続けて藤原さんは以下のように書く。

実際に介護保険を運用する側にエビデンスとして届けるためには、現場で働く者や介護家族、これから介護に向かい合うであろう自分自身に、「人権保障」や「介護保障」という立場でのものの見方、考え方が必要となってくると思います。

ここでは、実際に介護保険を運用する側に何を誰がエビデンスとして届けるのか、が明示されていない。しかし、それは明らかで、現場で働く者や介護家族、これから介護に向かい合うであろう自分自身が、経験してきた「介護の実態」を介護保険を運用する側にエビデンスとして届けるということだろう。さらに以下のように続く。

 ところが、その流れに反し、生活援助に対する調査集計結果も出ていないなかで、2012年4月から強引に勧められてきた改正介護保険で、「訪問介護」は大打撃を受けています。それは介護保険制度がホームヘルパーに介護労働者としてではなく、ボランティア的な働き方を求めているからです。

 最も端的な例として挙げられるのは、「買い物」へのサポートです。2012年以前は「本人宅を一度訪問してから買い物に行く」という決まりがありましたが(健康状態等を含め、生活の様子を見たうえで相談して品物を決めていた)、この4月から訪問に向かう途中で買い物をしてもいいことになりました。

 しかし、ここで問題なのは、買い物をしている時間だけに介護報酬がつくというしくみです。つまり、全部の移動には賃金がつかないのです。実際、移動も賃金として見なすという姿勢が厚生労働省にはまったくありません。在宅介護現場を支える圧倒的多数の登録ヘルパーは、「移動時間も賃金に換算してほしい」との思いを強く持っていますが、その願いを打ち砕くような改正内容となっています。 209-210p

ここで著者は政府の言い方で「改正」と書いているが、これは改悪だろう。障害分野で働いていて、7年前にこんな改悪が行われていたことを全く知らなかったということを肝に銘じる必要があるかもしれない。

 そして、著者は以下のようにまとめる。

 介護されるお年寄りの人権を守るためには、まず介護を担う私たちホームヘルパーの人権が保障されなくては話になりません。現場にいる人間が誇りを持ち、希望を持って仕事をすることが、お年寄りの介護の質を高めることにつながるのです。

210-211p

その通りだと思う。介護保険のことを知らないということを気づかせてもらった。

勉強になりました。

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